2025年01月04日
かごしま未来の平和館プロジェクトBlog day 615
>>>このプロジェクトのイベント開催まで あと169日
思い出して、60~70歳の頃に書かれた絵画です。
昨年掲載したものを一部加筆・修正して再度お送り
します。
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防空壕と二宮金次郎
戦中の学校には二宮金次郎の銅像が学ぶべき見本として
建てられていた。金属性のものは供出命令で銅像ではな
く石像に移り変わったようだ。
左の絵はアメリカ軍機の編隊が来て、教室から飛び出し
て防空壕に隠れたときの絵です。みんな声を出さずに静
かにして通り過ぎるのを待った。
<参考>
防空壕・・・防空壕(ぼうくうごう)は、空襲のときに待避
するために地を掘って作った穴や構築物(地下壕や地下室)。
避難壕(シェルター)の一種。(ウィキペディアより引用)
ψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψ
2
北九州平和資料室 TICO PLACEの館長との交流でこの
大分県宇佐市在住の佐田さんの戦時中の日記の内容を御覧
いただけることになりました。6回にわたりご案内します。
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昭和19年7月19日(水)晴 三十一度
樋田先生が海軍の帽子と日の丸を持っていた。勇ましかった。
「さくやのほうそうでサイパン島が鬼畜アメリカに踏みにじ
られ占りょうするところとなりました。私は天津村と長峰村
のために力一杯はたらきます。」と言った。
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<編集部>
この樋田先生の出征前に矢立宮の神社で出征の式をされたよ
うで、そこへ佐田さんたちの学童が見送りに行った時の日記
です。先生の言った言葉を良く覚えていると思います。
※矢立宮(大根川神社)は大分県佐野にある神社
<日記の筆者>
佐田宏規(さだひろき)さんは昭和19年(1944年)当
時は大分県宇佐市の国民学校5年生(10才)で現在の小
学校5年に当たります。
<資料提供>
北九州平和資料室 TICO PLACE
〒808-0122 福岡県北九州市若松区蜑住245-3
https://kitakyushu-heiwa.com/
ψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψψ
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アイデアを考えるとき、顔は上向きになる。
あなたは今日のワンフレーズをみて、どのように感じた
でしょうか。ナルホドでしょうか。なにソレでしょうか。
■”今日”の戦争と平和の語り部(鹿児島)情報ΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨ 編集方針 ΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨ
当BLOGは一方に偏することなく中立を旨とした記
思い出して、60~70歳の頃に書かれた絵画です。
昨年掲載したものを一部加筆・修正して再度お送り
します。
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防空壕と二宮金次郎
戦中の学校には二宮金次郎の銅像が学ぶべき見本として
建てられていた。金属性のものは供出命令で銅像ではな
く石像に移り変わったようだ。
左の絵はアメリカ軍機の編隊が来て、教室から飛び出し
て防空壕に隠れたときの絵です。みんな声を出さずに静
かにして通り過ぎるのを待った。
<参考>
防空壕・・・防空壕(ぼうくうごう)は、空襲のときに待避
するために地を掘って作った穴や構築物(地下壕や地下室)。
避難壕(シェルター)の一種。(ウィキペディアより引用)
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北九州平和資料室 TICO PLACEの館長との交流でこの
大分県宇佐市在住の佐田さんの戦時中の日記の内容を御覧
いただけることになりました。6回にわたりご案内します。
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昭和19年7月19日(水)晴 三十一度
樋田先生が海軍の帽子と日の丸を持っていた。勇ましかった。
「さくやのほうそうでサイパン島が鬼畜アメリカに踏みにじ
られ占りょうするところとなりました。私は天津村と長峰村
のために力一杯はたらきます。」と言った。
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<編集部>
この樋田先生の出征前に矢立宮の神社で出征の式をされたよ
うで、そこへ佐田さんたちの学童が見送りに行った時の日記
です。先生の言った言葉を良く覚えていると思います。
※矢立宮(大根川神社)は大分県佐野にある神社
<日記の筆者>
佐田宏規(さだひろき)さんは昭和19年(1944年)当
時は大分県宇佐市の国民学校5年生(10才)で現在の小
学校5年に当たります。
<資料提供>
北九州平和資料室 TICO PLACE
〒808-0122 福岡県北九州市若松区蜑住245-3
https://kitakyushu-heiwa.com/
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アイデアを考えるとき、顔は上向きになる。
あなたは今日のワンフレーズをみて、どのように感じた
でしょうか。ナルホドでしょうか。なにソレでしょうか。
■”今日”の戦争と平和の語り部(鹿児島)情報ΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨ 編集方針 ΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨ
当BLOGは一方に偏することなく中立を旨とした記
事を配信いたします。ただ、判断しない、グレーな
対応をとるということではありません。目的は幸福
を追及するという一点は譲らない方針のもと編集・
発信致します。
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Posted by 野田洋一郎 at
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